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名医が「答えられない」と悩む認知症患者の問い

認知症を40年以上研究してきた専門医の長谷川和夫氏は、このほど自身が認知症になったと公表した。長谷川氏は「かつて患者さんから『どうして私がアルツハイマーになったんでしょうか。ほかの人じゃなくて』と聞かれて答えられなかった。いまではその患者さんの思いがよくわかる」という――。

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 ※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■自分の体験の「確かさ」が揺らぎ始めた

 どうもおかしい。前に行ったことがある場所だから当然たどり着けるはずなのに、行き着かない。今日が何月何日で、どんな予定があったのかがわからない。どうやら自分は認知症になったのではないかと思いはじめたのは、2016年ごろだったと思います。

 自分の体験の「確かさ」が、はっきりしなくなってきたのです。自分がやったことと、やらなかったことに対して確信がもてない。たとえば、自宅を出てどこかへ出かけるとき、鍵をかけたかどうか不安になっても、たしかに鍵をかけたと思えば、そのまま出かけるのが普通です。あるいは不安なら、一度戻って鍵がかかっているのを確認して、それ以上は心配せずに出かけます。それが正常なときの反応。

 でも、確かさが揺らいでくると、家に戻って確認したにもかかわらず、それがまたあやふやになって、いつまでたっても確信がもてないのです。

 「確かさ」が揺らぎ、約束を忘れてしまうといったことが増えてきて、自分の長い診療経験から、「これは年相応のもの忘れではなく、認知症にちがいない」と思うに至りました。

■講演会で公表「じつは認知症なんですよ」

 2017年10月、神奈川県川崎市内で認知症に関する小さな講演会がありました。ボクは専門医として呼ばれていて、認知症ケアのアドバイスをすることになっていました。ご家族向けに、ケアをするうえでのポイントや、これまで診てきた患者さんとの思い出話などをするうちに、次の言葉が出たのです。

 「みなさんの前でこういうと(主催者が)困るかもしれないけれど、じつは(ボクは)認知症なんですよ」

 自然に出てきた言葉でした。自分が認知症と自覚してからは、誰もがなる可能性があり、認知症になっても「人」であるのに変わりはないこと、この長寿時代には誰もが向き合って生きていくものだということ、そして、認知症になっても普通の生活を送ることが大事だということを伝えたいという気持ちが、心の底にありました。

 だから講演会で話すうち、「ボクもこのとおり、普段どおりの生活を送っていますよ」ということを、その場のみなさんにお伝えしたいと思ったのです。みなさん、とても真剣に、そして温かく受け止めてくれました。

■ある認知症男性との記憶

 「認知症になってショックでしたか」とよく聞かれます。これに関連して、ボクが以前に体験したお話をしたいと思います。

 ボクは大学の学長や理事長職なども務めましたが、やはり臨床が好きで、臨床の場から長く離れているのは寂しいという思いが、いつも胸のなかにありました。認知症ケアの理念である「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」をもっと診療に生かしたいとの思いもありました。

 そこで大学での理事長職などの仕事を終えたあと、2006年ごろから、同じく精神科医をしている息子の川崎市内にある診療所で、月に数回、8年間ほど診療をしていたことがあります。そのときの話です。

 ある日、認知症と診断されたという高齢の男性が、「セカンドオピニオン(別の医師の意見)として、先生の意見を聞きたい」とやってきました。

 ご本人とご家族によると、最近、急に症状が悪化したとのことで、雪の日に寝間着のまま外に飛び出して歩き回り、家に帰れなくなったところを近所の人が見つけて知らせてくれたこともあったそうです。

 まず、「お座りください」といって椅子を勧めると、その方は腰掛けるところがない椅子の裏側に回って腰をおろそうとされました。

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