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『お母さんは、だいじょうぶ』を読むとわかる、幸せになれる認知症介護
はじめはやっぱり「認知症」を隠してしまう
『お母さんは、だいじょうぶ 認知症と母と私の20年』(楠章子・文 ながおかえつこ・まんが/毎日新聞出版・刊)は、認知症状をテーマに描きベストセラーとなり、映画化もされた『ばあばは、だいじょうぶ」の著者の新刊。
若年性アルツハイマー型認知症になってしまった実母の介助生活を綴ったもので、家族が幸せになれる介護への道を教えてくれる。4コマ漫画と介護エッセイという構成で、認知症という重いテーマを扱っていながらも楽しく読み進められる。登場人物を名前ではなく”野菜”にしてあるのもいい。認知症になってまった母親は「トマト」、父親は「ナッパ」、姉は「オネギ」、兄は「オイモ」、愛犬は「キクナ」、そして著者は「オマメ」だ。
トマトが認知症を患いはじめたのは20年前、トマトは60歳を過ぎたばかり、その時オマメは25歳だったそうだ。はじまりはあいまいで、同じことを何回も聞く、言ったはずなのに忘れてる程度だったという。
ところが、やがて約束を忘れる、作業を途中でやめて他のことをしているなど、年をとったらこのぐらいのレベルを超えるようになっていった。
そんなトマトを見て、私もナッパも心の中でつぶやきました。(ああ、アルツハイマーやな)と。実は亡くなったおばあちゃん(母の母)が同じような感じで、若年性アルツハイマー型認知症という診断を受けていたからです。(中略)この時点で診断を受け、進行を遅らせるお薬を飲み始めていればと悔やまれますが、治らないなら、診断を受けたくないと思ったのです。(中略)検査をすることで、勘の鋭いトマトは、自分の病を疑うでしょう。
『お母さんは、だいじょうぶ 認知症と母と私の20年』から引用
その後、ゆるやかにも症状は進行し、トマトは診断を受けることとなり、薬を飲み始めた。当時、オマメは誰にも「母が認知症」とは話せず、家庭での介護はかなり閉じた状態になっていたそうだ。仕事一番、介護は二番
しかし、家族だけの介護には限界がやってきた。ある日、トマトを病院に連れて行った帰り道、オマメはふっと目に入った特別養護老人ホームの看板を見て、ふらふらと入っていったそう。入所させようという考えはなく、そこには「ケアマネジャー(介護支援専門員)」がいると思ったからだ。突然の訪問にもかかわらず、このホームはケアマネに連絡を取ってくれたのだ。
現れたケアマネのバナナさんに、私は「母が認知症で困っています」と訴えました。「お母さまの状態を教えてくれますか?」と聞かれて、私はたくさん話しました。(中略)「だいじょうぶですよ、デイサービスなどいろいろありますから」その言葉がやさしくて、私はスイッチが入ったみたいにわんわん泣きました。
(『お母さんは、だいじょうぶ 認知症と母と私の20年』から引用)
こうしてバナナさんにはその場でトマトのケアマネになってもらえることになった。
その後、自宅への訪問介護や通いのデイサービス、そして短期の宿泊サービスなどを組み合わせることができる小規模多機能型居宅介護サービスの管理者のリンゴさんとも出会い、介護をチームワークで行えるようになっていったそうだ。
介護100%の生活はしないほうがいいというプロのアドバイスもあり、兄オイモ、姉オネギ、そしてオマメは、「まず自分たちの仕事はしっかりやること」と決め、仕事一番、介護二番を実践することになった。その結果、明るく幸せな介護ができるようになったとオマメたちは感じているようだ。
そう、ひと昔前の日本のように、世の中は助け合いで回っていると考えればいいのだ。1/2ページ