介護・医療関連ニュース
-
認知症の人はつらさや寂しさ、悲しさをより敏感に感じている【これで認知症介護は怖くない】
【これで認知症介護は怖くない】(8)
佐藤さんが、つい「励ましの言葉」を言うのは、心の中で「認知症になったら、多少強く言っても分からないだろう」と思っていたからだ。
しかし、認知症の人には、こうした言葉は「叱られている」と受け止められることが多い。この父親にしても、これまで当たり前にできたことができなくなったうえ、それをわが子に指摘されるのである。こんなにつらいことはないだろう。「本人は何も分からないから幸せだけど、つらいのは介護する家族よ」とよく聞くが、当事者もつらさや寂しさ、悲しさはより敏感に感じているのである。
では、どうしたらいいのだろうか。
39歳で認知症と診断された丹野智文さん(認知症の人が不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」実行委員会代表)はこんなことを言ったことがある。
「朝起きると、コーヒーを入れてテーブルに置くのですが、さてと席に着くときに別のことを考えたりすると、自分はコーヒーを持ってきたことも忘れます。あれ、誰が入れたんだろう? 妻かな? 『コーヒーを入れてくれてありがとう』と妻に言うと、妻は『いいよ、いいよ。でも、パパは自分で入れたんだけどね』と笑っています。もしこれが『何言ってるの、自分で入れたでしょ』と強く言われたらイライラの原因になります。また、お風呂を入れてと言われて、栓をしてフタもするのに、(お湯張りの)スイッチを忘れているんです。自分でも失敗したことが分かっているんです。でも、妻は笑ってくれます」
これが「何やってんのよ」と言われたら、丹野さんは落ち込んだはずだ。
ある意味で「ほったらかし介護」とでもいうか、過剰な世話を焼かず、本人ができることは本人に任せて自立を邪魔しないことが、本人も家族も楽で、生き生きできるようだ。
障害があるだけで、何も分からないからと勘違いしてモノのように扱われたら、認知症の人だけでなく、私たちだって暴言や暴行といった方法で抵抗するだろう。
(奥野修司/ノンフィクション作家)